「湯島聖堂の漢文検定」チャレンジしました
平成26年12月 松組「湯島聖堂の漢文検定」チャレンジしました!!
師走の寒さも何のその、裸足にぞうりの生活で元気一杯の子ども達です。 サントレ言葉遊びに取り組む松浜保育園。
年長さんでは漢文にも触れています。その年長児が今回チャレンジしたのは何と『漢文検定』!!
内容が新潟日報に載ったのでご紹介します。
「湯島聖堂の漢文検定」これは藩校として歴史ある湯島聖堂にて、子どもから大人までが挑戦する漢文の検定です。
検定の様子は記事の通り本格的な形で、入室の際「失礼いたします。」のご挨拶から始まって検定終了まで一人ずつしっかりと真剣に挑みました。 「漢詩」からは力強さと生き方を学べるそうです。
出題。例えば一つ。 春暁 孟浩然
- 春眠不覚暁
- 処処聞啼鳥
- 夜来風雨声
- 花落知多少
皆さん覚えていますか?5歳児が読める事で驚かれますが、五言絶句や七言絶句で独特のリズム感があり楽しく読んでいたようです。
幼児の脳はスポンジ脳、とにかく吸収しますので大人も形無しですが、苦手を意識する前の段階で楽しく触れる機会があれば、これからの財産になるはずです。言葉はすべての基礎・基本ですから・・・
めでたく全員合格の松組さん。より自信を持って言葉を深めて頂きたいと思います。今回の経験が大きな成長の糧となりすっかり大人に見えた一日でした。
担任 佐々木先生から
松組さんは短歌や漢詩が好きな子が多かったのですが、それでも検定のハードルを越えられるのか…最初は不安を抱えていました。担任自身がなかなか読めるまでに時間がかかった位なのに、今回出題の5首という数の漢詩を覚えられるか心配でした。
そんな心配はよそに子ども達は担任がテキストを見て読んでいるうちにドンドン覚えていってしまいました。 試験当日、一人ずつ部屋に入ってくると緊張で声が小さくなってしまったり足が震えたり…。それでも誰一人、後ろで見守る担任に頼る事無く最後まで読み上げる事が出来ました。
そんな立派な背中に胸が熱くなりました。試験官に「合格です!」と言われた時の子ども達の嬉しそうな顔・私も本当に嬉しかったです。
「湯島聖堂の漢文検定」とは・・・HPから
徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。 明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。
ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。
一般社団法人 漢字文化振興協会 「湯島聖堂の漢文検定」 漢字文化振興協会では、漢字文化を通じて正しい日本語の啓蒙・普及に努め、その一環として漢文検定を運営しております。 漢文は日本文化の根幹をなすものです。和歌も物語も日記も随筆も、紫式部も清少納言も芭蕉も漱石も、基礎に漢文があるのです。漢文を学ぶことの重要性は論をまちません。まず論語や漢詩の魅力に触れて、子どもから大人まで、日本人の心の故郷を訪ねていただきたいと思います。 「漢文検定」をその契機にしてください。